電車のおもひで
 1910年、西鉄の前身、福博電気軌道は、大学前〜今川橋間にて開業します。その後、福岡の発展とともに「電車」も発展を遂げ、1922年貫線全線開通、1927年城南線全線開通、1954年宮地岳線の市内部を貝塚線に、そして1964年循環線開通と、福岡市の主要交通網として整備されるのです。

 しかし、陸上交通の発達とともに、電車はその役割を徐々に終え、1975年、貫線の「電車」は廃線となります。
 貫線廃線時の九大前〜姪の浜間の駅名を記しておきます。少しばかり 懐かしい気分になれるかもしれません‥‥。

九大前─網屋町─箱崎─馬出─東車庫前─大学病院前(医学部前)─千代町─蓮池─呉服町─土居町─川端町─東中洲─県庁前─天神(天神町)─西鉄グランドホテル前(万町)─大名二丁目─赤坂門─平和台(上の橋)─大手門(下の橋)─荒戸一丁目(荒戸町)─西公園─唐人町─地行(地行西町)─今川橋─西新(西新町)─防塁前─藤崎─早良口─室見橋─愛宕下─竹の山四丁目─姪の浜   ※( )内は昭和36年当時の駅名
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1975年11月2日、貫線最後の日、九大前を出発する姪浜行き最終電車。

市内電車の起点であった九大前と、姪浜では最後の日、お別れのセレモニーが行なわれ、たくさんの人が「電車」との別れを惜しみました。今思うとちょっと危険な感じがしますね。

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姪浜を出発する九大前行き最終電車。花束を手渡され、運転士は最後の乗務に出発します。

 最後に残った、貝塚と中心部を結ぶ「貝塚線」「循環線」も、約4年後の1979年2月11日に廃線となり、あの肌色と小豆色のツートンカラーの重たそうな車両は、惜しまれつつも姿を消すことになるのです。
(文・片山広宣/写真提供・西日本鉄道株式会社 広報室)
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