電車のおもひで
 博多のちょっと古い人は、西鉄の路面電車のことを、ただ「電車」、JR(旧国鉄)電車のことを「汽車」、そして現在の西鉄天神大牟田線のことを「急行電車」というふうに呼び分けていました。ちなみに大牟田線の電車であれば、各駅停車も、急行も、特急もすべて「急行電車」と呼んでいたのです。
 さて、箱崎の人の身近な足といえば、昔はほとんどが西鉄の路面電車、いわゆる「電車」でした。特に、九大前を出発して、千代町、天神、西新を経て姪浜に至る、「1番系統」と、天神から渡辺通りを経由して、渡辺通一丁目 (なぜか昔はただ「一丁目」とだけ言っていた)、城南線を経て西新に至る「20番系統」の電車は、箱崎の人々にとってなくてはならない交通だったのです。
 このコーナーでは、昭和54年2月、全面廃線となった「電車」のはなしを連載したいと思います。お楽しみに。

photo
昭和40年代後半の九大前電停。写真下端に途切れたレールが見えます。
電車上部奥に見えるのは一光寺の屋根


 貫線の終点、「九大前」は、唐突に途切れたレールの手前で、着いた電車がそのまま折り返すという、なんとも素朴な風景でした。
(文・片山広宣/写真提供・西日本鉄道株式会社 広報室)
はこのわTOPに戻る

このサイトの全ての内容について、無断転載を禁じます。
Copyright (C)Maggio. All rights reserved.